ApoE4キャリア アルツハイマー母の介護奮闘記+要支援父もいるよん 

アルツハイマー母と失禁父の介護に奮闘しているアラフィフ娘の日記です。ココナッツオイルやらMCTオイルやらリコード法やら取り組んでます。

【はじめに】 アルツハイマー認知症への道 ②:診断されてからの1年間

母がアルツハイマーと診断されてから現在までどのような日々を送ってきたか説明していきたいとおもいます。

 

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アルツハイマー確定後の一年間 -2016年3月-2017年2月


この1年間をまとめると

 

薬も途中でやめる

ストレス満載な1年間

アルツハイマー進行して下さい 

 

というような日々でした。

 

具体的には。。


母に試練① 圧迫骨折
印籠をおされてから 母に認知症の薬 アリセプトをとってもらうようにしました。 が、数週間で母が「この薬を飲むと調子が悪くなる」と言って飲むのを拒否しはじめたのです。
そんな中、母が団地の掃除用のほうきやらスコップやらを整理している時に圧迫骨折してしまったんです。
また激痛と安静しなくてはいけない日々になり、ストレス満載の日々。。

なんで。。。

 

認知症進行しちゃうやん

 

母に試練② 父が入院
でも、神様はさらなる試練をあたえてくれました。 ( ;∀;)
ゴールデンウィーク中に母が圧迫骨折したのですが、それから2ケ月ぐらいして父が救急車で運ばれてしまいました。

 

ほんま なんでやねん!


このころは、私もまだ仕事をしており週末しか実家に帰ってませんでしたので、救急車で父が運ばれた時は、母が対応したわけですが。 父は頚椎症で熱が出て首、肩を動かすと激痛が走り体を動かせないという状態です。 もともと気の小さい心配症の母なので どれだけ精神的にきつかったのだろうか。

そして認知症の進行は。。。?

もちらんガクッと進行していきました。父は、結局2週間程で退院しましたが なんと2週間ほどでまた同じ症状で救急車で運ばれて入院したのです。。

ほんまなんでやねん!

今度は私も毎日実家から仕事に通っていたので私が対応しました。 でもこの時母はへんでした。
別の部屋で寝ている私を起こしにきたのですが 本当は父が私を呼んでいるのに

「誰か男の人が私を呼んでいる」と言って私を起こしにきました。。

えっ ?

。。。。。 母の動揺は図り知れません。。。

 

母に試練③ さらなる圧迫骨折
そして、神様はまた、さらなる試練をあたえてくれました。
父の入院中の出来事ですが、お風呂掃除をしている時に、あらたに別のところを圧迫骨折してしまったのです。

ほんまなんでやねん!
神様うちらなんか悪い事した? 

整形外科の先生曰く、こうゆうことはよくあるらしいのです。圧迫骨折すると骨がかたまって治癒しても、くしゃっと潰れた形で骨がかたまって不自然なのでちょっとした事で、他の場所もぐしゃっと潰れるていくそうです。 お年寄りってつらいですね。。

 

アリセプトの服用を途中で止めてしまった。
こんな日々で、認知の薬 アリセプトを無理に飲ますこともできず、地域包括センターに父、母の介護認定の相談に行った時に、「母が薬を飲んでくれない」とちらっと愚痴ったら「あんな薬より、ゲームをさせたり、楽しく頭を使わすほうがよっぽどよいです。」と言われてたので説得もやめる事にしました。 ほんとうは一度飲み始めて途中でやめたら余計に認知症が悪化するらしいので飲み続けさすべきだったと後悔してます。まぁ まだ摂取量が少ないかった時点での中止だったのでよかったのですが。。

 

ストレスはエンドレス それが生きていくという事?
結局一番認知症に良くないとされている、ストレス満載な一年を送らさせてしまいました。父は、2度目の退院後は、再入院はしてないのですが、1カ月に2回程 突然熱を出して体が動かなくなり、リビングに寝込み、失禁をする という状況に陥ります。 ロキソニンステロイド剤のブレドニンを飲ませて寝かせると半日後には治るですが、体が動かなくなり、熱を出してもうろうとし、失禁してリビングに寝込む父を腰の曲がった認知症の母が対応するのはどれだけ大変で精神的にも凄くストレスがかかるか想像つきますよね。ベットにも連れていけない。 体を動かせずもうろうとしておしっこでびちょちょになった父の服を腰の曲がった母が着替えさせるのです。 父のこの現象の度に母の認知症は進んでい行く感じがします。ちなみにこの症状は、今だに続いています。さらに頻度があがってるかなぁ
他の方の介護日記を見ていると、認知症を患ったお母様は、お父様を介護している人が結構いるようです。仕方のない事なんでしょうね。

 

③に続く